無償の奉仕が生むジレンマ:青年海外協力隊での葛藤と期待
みなさん、こんにちは!Naoです。
今日はボランティア活動を通じて問い直された『働くことの本質』について考えてみたいと思います。
現在、私は青年海外協力隊としてジンバブエの大学で活動しています。
活動を始めてから1年と少しが経ちましたが、金銭的報酬を受け取らない無償の活動について、常に葛藤を抱えています。
中学生の頃から夢みていた*青年海外協力隊
私は小学生の頃から、なんとなく、「アフリカに行ってみたい」という気持ちがありました。
当時、アフリカの子供達の飢餓問題を知ったことで、「何か自分にできることがあったらな」という漠然な思いを抱くようになったのです。
そして中学生の頃に、JICAの青年海外協力隊というプログラムを知り、
「え!まさに私がやってみたいことじゃーん!絶対に協力隊になるぞー!」(ノリ軽っ)
と、決意したのです😂
昔から、一度決めたことは達成するまで全力を尽くす性格の私は、
学生時代には7年間フェンシング一筋で打ち込んだり、
社会人になってからは会社勤めに専念していましたが、
社会人4年目の春、思い切って会社を休職し、
ついに長年の夢であった青年海外協力隊として活動をスタートさせたのでした!
想像以上に過酷だった途上国での実生活
派遣された当初、毎日を全力で生きていた気がします。
ジンバブエは社会インフラが非常に劣悪な状態で、断水と停電が頻繁に当たり前という生活に適応するのがとても大変でした。
特に断水が20日続いた時は、毎日大学の井戸から超大容量バケツ(推定50L)に水をくみ、
それを自宅まで車で運んでもらい、そしてそのバケツを自力で部屋まで運び入れる
という過酷な生活を送っていました😂
そんな環境では、食事、入浴、トイレといった当たり前の行動だけでヘトヘト!(笑)
そもそもボランティア活動に対する活力がどんどん奪われてしまい、
「あれ、私って、水汲みをするためにジンバブエに来たの・・・?」と思ってしまうことも。
でも、元を辿れば、この環境も含めて自ら志願して青年海外協力隊になったわけで、
「青年海外協力隊はあくまでもボランティアだから!」
「現地の人と同様に生活してこそ異文化理解が深まるのだ!」
「日本政府の公費で活動をさせてもらっているという自覚を持って!」
といった、私の中の正義や生真面目な部分が何度も自分を説得し、
この過酷な生活の中でも、ジンバブエのために自分ができることを全うするんだ…!
という結論を出して、挫けそうな心をなんとか保っていました。
青年海外協力隊で感じたボランティアという立場のジレンマ
でも、私も一人の人間。
27歳にして、無償の奉仕を続けるその意味について、どうしても納得できない部分がある。
そのきっかけは…
現在住んでいるのは、勤務している大学の敷地内にある、現地の教員やその家族が住むアパート。
同大学のジンバブエ女性教員とシェアハウスをしています。(最大のストレス源)
青年海外協力隊の活動に必要な資金は全て公費で賄われているので、家賃を支払うことはありませんが、このアパートは現地の教員たちも家賃無料とのこと。(最近知って驚きました😂)
ここではほとんど毎日断水、電気は1日おきに停電します。
最近知った事実!
大学敷地を出ると、隣のご近所では「水は毎日出る」とのこと…。
つまり、アパートの設備不良が原因で、私は1年以上も過酷な生活を強いられていました。
(現地の人にとって家賃無料だから、大学側もわざわざ直さないのでしょうね)
ここでまた正義が私を説得し始めます。
「青年海外協力隊はボランティアだから、現地の人と同じように生活するのが当然だ」と。
確かに私はジンバブエ人の女性教員と共に不便な生活をしています。
でも、上司や同僚たちは大学の敷地外で住んでおり、停電はあっても水は問題なし。
私の生活環境に「I'm sorry…」と言われます。
つまり、現地の人と同等ではなく、むしろ過酷な生活をしています😂
自分でも、かわいそうだと思ってしまいます。
自分の価値って、こんなものかなって。
現地の人よりも過酷な環境で生活しながら、無償で奉仕し続けなければならない。
水が出ない、電気が来ないなんて問題よりずっときついです。
青年海外協力隊とプロフェッショナルの狭間で揺れる私の思い
よく聞く言葉で、途上国での不便な経験から「日本での生活のありがたさが分かる」と。
もちろん、日本は世界一最高な国だと自負しているし(笑)、便利な生活が恋しいです。
でも、私はそれ以上に、『プロフェッショナル』であることが、自分にとって大切な価値観だと気づいたのです。
学生時代にはフェンシングの全国大会で入賞し、
会社勤め時代には毎日のように全国を出張して営業し、
これらの経験から、私は人一番努力して能力を発揮し、それに対する結果や対価を追求する、相当なプロフェッショナル意識が自分の中に形成されていたようです。
しかし、青年海外協力隊はボランティア活動なので、
私の成果に対して評価が行われることはありません。
『人一倍の努力』をしても、給料が増えたり、より良い生活が叶うわけではないのです。
私はやはり、自分の能力、これまで培った経験やスキル、
さらに独創性を発揮して、今いる場所で貢献し、その対価を給料として手に入れるべきだと考えています。
これこそが、人が真のプロフェッショナルになる方法だと思うのです。
今の自分の立場で、より良い生活を求めることはできません。
本当にこの環境が大変で、ボランティア活動に身が入らない/やる気が出ないのであれば、
帰国して、自由にお金を稼げる立場に戻るべきだとも理解しています。
ボランティア活動の本当の報酬とは?
しかし私は決して、青年海外協力隊のことや、ボランティアという立場を否定していません😌
世間には、プロボノと呼ばれる、専門職の人々が社会貢献の一環として、自分のスキルや知識を無償で提供している方もいます。
おそらく、私はまだ成長途中で、このジレンマを乗り越えた先には、無償の奉仕から生まれる、お金以上の価値が待っているのかもしれません。
風向きは少しずつ変わっています。
10月からPR部門で働き始め、人として尊敬できる新しい上司のもとで、自分の得意なことを活かして楽しく働けるようになりました。
以前は、やる気のない同僚たちに囲まれてうんざりしていましたが、
新しい上司は、「この人のために自分ができることで貢献したい」と思わせてくれるのです😊
(これも自分の力で手に入れた環境✨)
このジレンマを乗り越えた先に待っているのは、
お金では買えない価値の実感と、新しい人生の展開だと信じています。
それでもなお、「評価を受け取る」ということがどれだけ重要であるか、
そしてその評価こそが、実は人間にとって最大の生きるモチベーションだと私は考えています。
とりあえず一つ言えることは...
青年海外協力隊の活動を終えたら、もう一生、無償の奉仕には戻らないと決めています!😂
以上、『働くことの本質』についてでした。
それではまた次回の記事でお会いしましょう〜☺️👋
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上司と着付け体験(ジンバブエにおける協力隊事業35周年記念イベント) |
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