【お金がなくても幸せ?】先進国と途上国で違う「幸せの基準」
みなさんこんにちは、Naoです!
突然ですが、みなさんはどんな時に幸せを感じますか?
美味しいご飯を食べている時、愛犬と遊んでいる時、美しい景色を見た時——。
私もこれまで、幸せとは「喜びや心地よさを感じる瞬間」だと考えていました。
しかし、途上国で暮らす中で、幸せとは単なる感情ではなく、「ある状態」を表すものだと気づいたのです。
ある一本の動画との出会い
最近、私がハマっているYouTuber、Bappa Shota さんをご存知ですか?
彼は世界各国を取材し、メディアが伝えない「裏の顔」を届けてくれる方です。
ジャーナリスト顔負けの取材力に魅了され、つい何本も動画を観てしまいました。
中でも印象的だったのが、「世界一生活費の安い国」として取材したパキスタン編でのワンシーン。
Shotaさんがある地域の住人に「幸せですか?」と尋ねたところ、彼は迷わず 「幸せだ」 と答えたのです。
さらに、こう続けました。
「お金や知識が増えるほど、悩みや問題も増える」
彼らは、お金がないからこそ、知識がないからこそ、選択肢が限られているからこそ、今この瞬間にある幸せを感じられるのかもしれません。
幸せの物差しは国によって違う
この言葉を聞いた瞬間、私の中でずっと抱えていたモヤモヤがスッと晴れました。
日本という先進国から、途上国であるジンバブエへやってきた私は、日々 「自分はお金も知識もある側の人間なのだ」 と痛感します。
だからこそ、ジンバブエの生活を見ていると、「彼らは何に幸せを感じているのだろう?」 と思ってしまうことがありました(正直に言うと、ごめんなさい…)。
毎日同じ生活。娯楽も少なく、電気も水もない。
私の価値観では「つまらない」と思ってしまうものでも、彼らは私たちとはまったく違う物差しで幸せを測っていた のです。
そして気づきました。
私たちが抱える悩みやストレスは、お金や知識があるからこそ生まれるものなのだ、と。
選択肢が多いからこそ進路に悩み、政治に不安を感じ、職場の人間関係にストレスを抱える…。
途上国にはたくさんの社会問題があるけれど、先進国にもまた、先進国ならではの問題がある。
私たちが断水や停電を想像できないように、途上国の人々もまた、ストレス社会の精神的苦痛を想像できないのかもしれません。
私には単調に見えていた生活も、彼らにとっては「幸せ」なのだと知った今、私はもう「自分の物差し」で彼らの幸せを測る必要はないのだと思えるようになりました。
そして、本当の問題は、「幸せの物差しは環境によって異なる」という事実を理解せず、単純に「先進国 vs 途上国」という対立構造で片付けてしまうことだと思います。
よく、「先進国の人は恵まれている」「贅沢だ」と言われますが、それだけでは本質を見落としてしまいます。
実際、エチオピアの少数民族・ムルシ族の人々は「近代的な都市部の生活は望まない」と語ります。
大切なのは、自分が生きる環境の中で、自分なりの幸せを見つけること。
さらに私は、ジンバブエでの生活を通じて、彼らの目線での幸せを知ることで、これまで以上に多くの幸せを見つけられるようになりました。
(例えば、晴れの日の朝に手洗いで洗濯物を済ませ、キレイになった洋服を見るだけで幸せ!笑)
そしてこれからは、日本で生まれ育った者としての社会的役割を全うし、自分の尺度で人生の幸せを叶えていきたいと思います!
日曜日の朝から手洗いで洗濯。終わった後は気持ちが良い! |
幸せとは、「雲がないこと」
パキスタンでの取材後、Shotaさんがこんなことを言っていました。
「幸せは、太陽と一緒。」 雲一つない青空に太陽が輝いている状態。
それは 「悩みごとがなく、心に雲がかかっていない状態」=幸せ なのだと。
私たちは、好きなことをしている瞬間を「幸せ」と思いがちですが、実は、心に曇りさえなければ、私たちは常に幸せだったのです!
この気づきのおかげで、私は毎日「心に雲がないから、私は幸せだ!」と思えるようになりました。
幸せをお金で手に入れるのではなく、心の雲を取り除いて、本来の自分に戻ることのほうが大切なのです。
あなたは幸せですか?
今日の記事はいかがでしたか?
忙しい日々の中で、ふと立ち止まって考えてみてください。
あなたの心に、雲はかかっていませんか?
もしそうでなければ、あなたは今、紛れもなく幸せです!☺️
それでは、また次回の記事でお会いしましょう!
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